44番 南明山 東雲院 

住職 第19代 上西孝道 

710-0002 倉敷市生坂1416 086-462-1889  案内図

本尊 薬師如来 開基 約1100年前 中興 寛文6年増意 

倉敷市の北部、山麓沿いに位置している生坂の地。山陽自動車道・倉敷のインターから旧道を岡山へ向かう途中、小高い坂の上に、薬師如来を本尊とする南明山東雲院がある。現在同院のある地は、かつて備前・岡山藩主・池田光政が三男輝録に分与した生坂藩の最後の藩主・政礼(まさたか)が明治3年から明治4年の廃藩置県までの約1年間だけ仮の藩庁として使用していた。 

東雲院の開基は約1100年前に遡る。当初は浅原の安養寺と同所にあったが、建武年間(133436)に焼失。その後、現在地の西方に移転し、やがて藩屋敷跡の現在地に移った。 

寺伝によると、江戸時代初め、時の藩主池田新太郎が儒教を擁護したため、生坂に所在する寺の住職、神社の神主らの多くは迫害を受けて、同地を出て行かざるを得なくなった。この時、東雲院の住職・増意はかたくなに仏教を護ってその迫害に耐え、3年間の苦難の末に許されたという。それが寛永6年(1666)で、増意は東雲院の中興の祖となった。 

東雲院では9年に一度、正御影供を勤めており、近年では平成15年に当たっている。また、平成7年からは毎年115日頃に柴燈大護摩供を厳修している。東雲院の境内には、昭和25年開園の「東雲保育園」(園長・上西住職、80人)があって、地域の子供達を仏心に基づいて生き生きと育てている。