住職 片岡 隆道

所在地   〒701-0164 岡山市撫川157

 ●電 話  (086)293-3449

 ●FAX  (086)293-3473

 ●本 尊 聖観世音菩薩

 ●開 基 神亀~天平年間

 ●中 興 文明年間数田政則

 ●交通案内 JR山陽本線庭瀬駅から旧国道を西へ約4キロ

兵火焼失から見事に再建

  岡山市の西部、倉敷と接する辺りに撫川と呼ばれる町が広がる。この撫川の町を南北に流れる足守川と、旧国道2号線が交差する所から南東に約400メートル程歩いたところに金花山極楽寺観音院がある。

  観音院のある撫川付近は、かつて倉敷庄地区と並ぶ、イ草の栽培地帯として知られてきた。現在は都市化の影響を受け、イ草栽培は少なくなってきたが、イ草加工業、御座、捺染などが盛んに行なわれている。また、元禄時代に作られ始め、すかし張りなどの高度な技法を用いて描かれているその繊細優美な絵柄の美しさと、しなやかさで知られる「撫川うちわ」の生産地である。

  この撫川に位置する観音院の創建は古く、奈良時代にまでさかのぼる。神亀年間から天平年間にかけての724年から749年頃と伝えられている。 

  その後、約700年を経て室町時代後期の文明年間(1469-87)に、数田政則が中田村(現在の岡山市庭瀬辺り)に一宇を建立し、観音院を中興したと伝えられている。

  しかし、安土桃山時代の天昇2年(1574)から3年(1575)に、備中松山城主三村元親と、安芸(現在の広島)の毛利輝元が戦った備中兵乱が起き、その兵火は備中松山城にとどまらず備中全体に広がり、観音院もその兵火に巻き込まれ、伽藍を焼失している。

  観音院が現在の地所に移ったのは、江戸時代の寛永6年(1629)。宥賢和尚によって再建されている。現在の本堂は、先代の蜜運大和尚によって昭和59年に新築されたものである。

  観音院の本尊は聖観世音菩薩。行基菩薩の作を伝えられている。また、観音院は備中西国三十三観音霊場の第三十一番霊場にもなっている。御詠歌 

 たゆとうや 導き給え観世音 知らぬ冥途へ ひとり行く身を

 ●主な行事

 正月大般若祈祷会(1月13日) 

 毎月17日本尊講・写経会

 施餓鬼会(8月17日)

 ●周辺観光

 RSKバラ園(1K)

 犬養木堂(毅)の生家(2K)