住職 松本 義正
● 所在地 〒710-0261 浅口郡船穂町船穂3345
● 電話086-552-2021 FAX 086-552-4774
● 本尊 大日如来 ●開基 大化年間 法道仙人
● 中興開山 頼誉 ● 交通案内 JR山陽新幹線新倉敷駅から船穂町へ 案内図
「院宣」を下賜された由緒寺院
かつて皇室から「院宣」を下賜されるなど備中路きっての名刹・暁瀧山寳満寺は、高梁川沿いに開かれた船穂の平野部を見下ろすように、北部丘陵地帯にその甍を垂れている.現在、同寺は備中支所下唯一の準別格本山で、皇室、武門との深い関わりを携えて今日にその格式と威厳を保っている。
同寺は文化年間(645-650)に中国の僧・法道仙人によって開基されたと伝えられている。かつてこの一帯は海とされており、当時は北に山を背負い、南に海が開けて海辺には白砂青松と、景勝の地であったことから仏法の都に適していると開基されたという.
その後、幾多の変遷を経て後土御門天皇の明応2年(1493)、当時の住職・栄舜に対し皇室から「律師」の「院宣」が下賜。天文3年(1534)には、宗淳に対しても「院宣」が下賜されるなど、由緒寺院としての寺歴を有している.明正天皇の寛永年間(1624-44)には、頼誉が衰退した同寺の本堂、大師堂、客殿など次々と再建し中興の偉業を成し遂げ、中興開山となっている.
明和2年(1765)には、丹波亀山城主・松平紀伊守の帰依を受け、武運隆昌の祈願所に定められた.寛政8年(1796)11月9日には、総法務官の命をもって京都「御室御所御用所」である直末となった。天保13年(1842)4月には、横算網代、乗輿、金挾箱、朱笠、杖などが許され、嘉永5年(1852)年には、本山の京都・仁和寺から「故一品禅定大王尊牌」一基を同寺に納め、灰筋塀、下馬札、翠簾、御紋付幕なども寄進されるなどの格式を有している。また、元治元年(1864)には役院として長福寺、寿福院が定められ隆盛を極めた。
古文書によると、山紫水明の寳満寺山中腹にあって、約3000坪の境内地には花木が多く、特に桜は有名で、花時には杖をひく人が山内に満ち溢れていると、記されており、その格式と由緒を偲ばせてくれる。
中興開山・頼誉から数えて23世となる故・安正大僧正は、平成2年に伝統的工法と現在寺院建築の粋を集めて本堂を新築。戦後、幼児教育の重要性を感じ昭和23年に「たから保育園」を創設した人でもある。現代は第24代義正住職によって連綿と法燈が継がれ、「ぼけ封じ」33観音霊場第17番、備中浅口西国33観音霊場第22番の札所として、観音信仰を集めている。
● 主な行事
4月15日 永代土砂加持法要 5月 霊場巡拝
10月 高野山団体参拝 毎月 21日写経会
● 周辺観光
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