住職 松井 大圓
● 所在地 〒710-0055 倉敷市阿知3-20-17
● 電話 086-425-0141 FAX 086-425-9188
● 本尊 聖観世音菩薩
● 開基 智空上人
● 中興開山 天正十三年勢海法印
別当寺院から倉敷に移転し衰運挽回
JR倉敷駅から南へ真っ直ぐ美観地区の方向へ進むと、右手に聖観音像が立った三階建て
の鉄筋コンクリート造りの寺院、青龍山地蔵院がある。ここは高野山別院でもあり、衰運挽回し現代にその法燈を伝えている。
寺伝によると同寺は昔、現在の倉敷市笹沖の葦高宮の別当、神宮寺の塔頭の一梵刹であったと記されている。元禄の頃までは「青龍山地蔵院井上寺」と称され、本尊は地蔵菩薩で、脇侍に性善、性悪の両童子を安置。本堂(五間×六間)、客殿(五間×十間)、経蔵
(一間半×二間)、山門(一間半×二間)、大師堂(二間半×三間)など諸堂を備えた堂々たる寺院であった。
天正十三年(一五八五)、勢海法印は新開地、日吉(現在の倉敷西中学の辺り)に移転し
中興開山した。さらに第五世の秀厳法印が貞享年間(一六八四~八八)に現在地に
移転し、現在の寺号を公称した。
こうした記録は「神遊山古記」にも登場する。「聖武天皇の御宇初めて別当の寺院を居られ、山上に数ヶ寺有しとぞ、後三条院御宇智空上人此寺に住ひ社法定る。其寺院には 神遊山神宮寺、明王院、安楽坊各智空上人の流れを汲む、天正の頃より諸寺皆山を下りて
新開地に移る。即ち神宮寺は西阿知に移る、遍照院是なり、井上寺は日吉より更に倉敷に移る。地蔵院これなり。」とあるように、倉敷の干拓によって移転したことが窺える。
第九世勝慶(一説には頼乗)の代には、奈良の信貴山朝護孫子寺の毘沙門天を迎え、遠近各地から参詣する人多く、毘沙門天信仰を集めた。これを聞いた備前藩主、池田継政公は毎月、勝慶を城下に呼び説法を聞き、自作の仏像や什物を寄進。八間四面の本堂を始めとする伽藍を建立し、寺観を一新したという記録が残されている。しかし、明治元年十二月
火災により悉く灰燼に帰し、一時無住の状態にまで至った。明治三十年四月、第十七世恵戒は信貴山朝護孫子寺の教会出張所を寺内に設け入寺。同四十二年に本堂を再建し、衰運を挽回し、今日に至っている。
● 主な行事 一月一日~三日新年祈祷、大般若転読、
八月十五日精霊送り 毎月三日 毘沙門天護摩供養
毎月十七日 本尊観音講
● 周辺観光 倉敷美観地区