住職 松本信正● 所在地 〒710-0261 浅口郡船穂町船穂6738
● 電話 086-552-2851 FAX 086-552-2875● 本尊 聖観世音菩薩 ●開基 大同二年弘法大師 ● 交通案内 船穂町から北へ約15分案内図
第55番平岩山雞徳寺
後醍醐天皇が行幸し、寺号を改称
船穂町の最高地点・平岩山(標高156・3㍍)を背にし、眼下に清流・高梁川、倉敷市、水島工業地帯から、遠くは四国や瀬戸大橋をも望む絶景の地に聳えるのが平岩山雞徳寺である.かつては6坊の塔頭を数え、遠近からの参拝がたえなかったという古刹である。
同寺は大同2年(807)、弘法大師の開基。本尊の聖観世音菩薩(木像・高さ18・2㌢)は町指定の文化財で、大師作と伝えられ、領主・水谷公によって勧請されたという。
特筆されるのは、漁師と黄金仏の伝説である。天禄元年(970)7月17日、内海の漁師の網にかかった黄金仏を同寺に泰安したところ、毎年7月17日と大晦日、節分の夜の3度、南海に燈篭がのぼり、同寺境内の「カイズカイブキ」の木の梢に溜まって海路を照らしたという。以来、この木を「燈篭木」と呼ぶようになったという。現在も山門と鐘楼の間に古株となって保存され、眼下を〝照らし〟続けている。
しかし、長元2年(1029)、火災によってすべてを焼失。ところが、壽永元年(1182)に安徳天皇が平家と共に都落ちし、水島の地に陣を構えた時、海中より龍燈があり、戦勝を祈願したところ、源氏に勝ったことから霊験あらたかであるとして雞徳寺として再建。その後正慶2年(1332)、後醍醐天皇が隠岐島から京都へ還幸するに当たり、船穂を通過。人里離れた地から雞の声を聞き、同寺へ行幸。この時、寺号を現在の雞徳寺に改めたという。
江戸時代には領主・水谷公の篤い庇護を受けて「御朱印35石」の記録も残っている。その後、北谷の北の坊と前谷の法蓮院が同寺に合祀されるなどするが、戦後、無住になり荒廃。現在の松本住職が入寺し、戦争で供出された鐘楼など再建(昭和57年)供出から40年ぶりに古より里人に親しまれた鐘の音を響流させた。
また、一方で、地域に伝わる伝統の本尊講を復活させ、備中浅口西国33観音霊場21番札所として整備。新年には新たに護摩供を奉修するなど、今日にその信仰を甦らせている。
●主な行事
1月 第1、第2日曜 大護摩供 8月 本尊供
● 周辺観光
倉敷市街へ約5K