38番 龍王山善福寺 

 住職 石渕宏暢 

 710-0835 倉敷市四十瀬二二三 086-422-2859  案内図

 本尊 阿弥陀如来  開基 慶長年間 玄海上人 


 鎮守三宝荒神コレラを封じる 


 JR山陽本線倉敷駅から旧国道2号線を西へ約三キロほど進むと、倉敷運動公園野球場が右手に見えてくる。その辺りから左手を見渡すと、銀杏の樹が高くそびえているのが見える。龍王山善福寺の境内に立つ、古くから同寺の目印とされてきた銀杏である。 

 善福寺がこの地に創建されたのは、今から約300年前の慶長年間(15961615)で、玄海上人によって創建されたと伝えられている。もともとは、都窪郡山手村の平山というところにあったといわれ、現在も善福寺の山号「龍王山」の由来である竜王庵の寺跡が同地に遺っている。 

 ちなみに、竜王は、雨乞の神・稲作の守護神である竜神のこと。岡山県南部は年問降水量1000@以下という干ばつ頻発地帯で、「備中ひでり」と呼ばれ、稲作などに大きな被害を及ぼしてきた。そこで、「能く雲を致し雨を興す」と信じられていた竜王を山に祀り、信仰の対象としてきた。竜王山と呼ばれる山は、県南部に多く存在している。 

 善福寺の本尊は阿弥陀如来で、脇侍として不動明王、薬師如来が安置されている。山門、本堂、庫裡、鐘楼堂の他に、客殿としても使用されている地蔵堂(晃善堂)がある。ここに祀られている地蔵菩薩は、明治時代に高梁川に流れているところを引き上げられたものである。延命地蔵として地域の信仰を集めている。毎年824日の地蔵盆には老人会と寺による接待が行なわれ、賑わいをみせる。 

 また、善福寺の鎮守である三宝荒神杜は、天保年間(183044)にこの地域にコレラが流行したのを封じたといわれ、毎年727日に「三宝荒神祭り」が行なわれ、子供らをはじめ数多くの人が参拝し荒神護摩供が修法される。 

 宏暢住職は、平成53月の晋山である。また、平成1412月に遷化された先代石渕宏尚僧正は長年にわたって高野山大学と高校で教鞭をとり、英語を教えていた人。高野山高校では、昭和38年に野球部の部長並びに監督に就任し、途絶えていた野球部を復興。3年目には甲子園に導くという成績を残している。 


 主な行事 

 年頭お札配り 727日三宝荒神祭り 824日地蔵盆接待