戦国武将 竹井将監公の菩提寺
岡山と高松を結ぶJR瀬戸大橋線の早島駅を降りると北へ向かって早島城のあった
という城山が見える。そこへ向かって15分程歩くと示現山普門院千光寺がある。
山門をくぐり境内へ入ると右手に五輪大卒塔婆がそびえ立っている。これは、第9世
増忍住職が瀬戸内海をはさんだ善通寺と千光寺に同じものを建立したもので、現在も
両方に残っている。
千光寺の本尊は聖観世音菩薩立像、慈覚大師の作と伝えられている。創建当時千光寺は
早島の市街を北に約10余町隔たる奥坂と言う所に在ったが、寛永8年(1631)に増泉法印が早島城跡に遷し仏教興隆と鎮護国家を願う道場とした。
千光寺は毛利方の戦国武将だった竹井将監公の菩提寺で、城山には将監公の供養塔がある。当時、中国地方の平定をめざす織田信長は、羽柴秀吉に毛利攻めを命じ備中高松で
毛利軍と対峙。戦国合戦史上有名な高松城水攻めを行った。毛利方は、織田軍の西進に備え高松城を中心に日幡、冠山など6つの枝城に兵を集め防衛線とした。そのため秀吉は
高松城攻略の前に枝城を落とす戦術を取り、天正10年(1582)3月20日冠山城に山方から攻め掛かった。この冠山を守っていたのが早島城主だった将監公だった。将監公は鉄砲によって秀吉軍に大きな被害を与えるなどし応戦。そこで秀吉は伊賀者を城内へ忍び込ませ、城内へ火をかけさせた。将監公は大奮戦し敵兵を防ぎ防戦したが、同年3月24日には豊臣秀吉方の武将、加藤清正と一騎打ちをし、冠山城で戦死している。後日、秀吉は、天下無双の豪傑、加藤清正と真っ向から渡り合い一歩も引けを取らなかった将監公を敵ながらあっぱれな武人として称え、供養のため金子50両を与え、吉備津、宮内の賀屋坊で供養したと伝えられる。千光寺にある供養塔はこの歴史を今に伝える重要なものとして早島町の重要文化財に指定されている。千光寺の裏山の早島公園は、第17世義範住職が城山稲荷前の竹薮を開墾して造園したもので、当時は城山公園として親しまれていた。現在は
桜の名所早島公園として知られ、春になると多くの花見客で賑わう。また、作家の遠藤周作氏の母堂は竹井将監の遠裔にあたることから同氏が千光寺を訪れることもある。
所在地 〒701-0304 都窪郡早島町早島1179
第19世住職 竹井成範
名誉住職 竹井秀範
電話 086-482-0114 FAX 482-3802 MAIL
本尊 聖観世音菩薩 中興 寛永8年増泉法印
交通 JR 瀬戸大橋線早島駅から北へ徒歩15分
縁起