2002年9月14日

 南真会会員各位

 大変遅くなりましたが、去る6月4日に中国四川省で行われました「南真会教育基金授与式」の報告をいたします。

 1) 「南真会教育基金授与式」参加・顛末記

 ◆出発の数日前より、猛烈な暑さの中、千光寺ガレージ内で、

 聖運寺・石原僧正と東雲院・上西僧正に、寄贈された子供服(新品)の仕分け、

 段ボール箱への詰め込み作業をして頂きました。

 「中国の貧しい子供達に、ぜひ新しい服を持っていってあげよう!」

 という気持ちからでした。

 この大量の荷物は、JTB倉敷支店・広瀬弘享氏の厚意で、彼の自家用車で

 関西空港へ。また、空港では、重量オーバーにもかかわらず、JTB関空支

 店の強力な後押しで、全ての荷物を無事機内に積み込むことができました。

 6月3日 11:15 JAL793便にて、関西空港を出発し、一路上海・

 浦東空港へ。・・・ここまではラッキーだったのですが・・・・。

 ◆第一の事件勃発

 成都への飛行機は、車で数十分離れた虹橋空港から出るため、急いで入国、

 通関手続きをしなければなりません。ところが・・・

 税関の職員が、我々の持ってきた大量の子供服を見て、

 「税金・約6万円を払いなさい!」

 と言ってきました。それらがすべて新品だったので売り物だと思ったのです。

 すぐさま、過去のいろいろな資料を提示し、これは売り物ではないと申し立

 て、ねばり強く説得しました。次第に、ほとんどの職員が、理解を示してく

 れるようになったのですが、責任者の一人だけが絶対認めようとしません。

 そこで最後の手段として、知人の国家安全省・局長に電話して、彼に説得し

 てもらおうと試みました。しかし、何ということか、その男は、彼と話すこ

 とさえも拒否したのです。こうしたやりとりが、1時間半以上続きました。

 このままでは乗り継ぎ便に間に合わない可能性が出てきたため、やむなく、

 空港の保税倉庫に預かってもらい、帰国時に持って帰るという誓約書を書い

 て、空港を後にしたのでした。

 乗り換えはギリギリセーフで、何とか無事、成都・双流国際空港へ。

 6月4日 10時からの授与式は、滞りなく、厳粛かつ盛大に行われました。

 「この教育基金のおかげで、貧しい子供達が学校に通うことができます」

 と感謝され、日中の友好関係は、年々深くなっていくように感じられました。

 そこには、極貧にもめげず、一生懸命学ぶ子供達が確実に育っていたのです。

  第二の事件勃発

 その日の19:10 成都発で北京に向かいました。

 定刻で成都を出発した安心感と授与式を無事終えた安堵感で、すぐに眠って

 しまったのですが、起きてみると、2時間程度で北京に着くはずが、少し遅

 れていることに気づきました。胴体着陸したかのような衝撃にヒヤッとしな

 がら外を見ますと、既に空港は真っ暗闇です。

 機内アナウンスが、

 「北京天候不順(雷)のため、太原空港へ着陸。ここで天候回復を待ちます」

 「ええー! なんでやねん! えらいことになった!」

 ショックを受けている隣で、中国人のおばさんが、TVを見ながら大笑いし

 ています。国内線の機内は、ほとんどが中国人。その騒がしいことといった

 ら・・・。おまけに日本と違い機内では、飲み物さえも出て来ません。

 (もしここで泊まる羽目になったら、後の旅程をどうしようか)

 と不安がつのります。2時間経過・・・もう我慢の限界です。

 突然、「天候が回復したので、出発します」とのアナウンス。

 「やったー!!」 機体は、滑走路に向けて動き出しました。

 しかし、喜びも束の間、

 「着陸の際、車輪が故障していたので、修理します」と再びアナウンス。

 さらに1時間待つことに・・・。 同乗の中国人が言うには

 「この飛行機は、機体が大きすぎて、この空港には着陸できないんだ。

 でも燃料がなくなってしまったため、しかたなく滑走路のかなり手前で、むり

 やり着陸したから、車輪が壊れたのだヨ」と。

 (それでは、たとえ車輪が直っても果たしてうまく離陸できるのだろうか?)

 不安がよぎります。しかし、中国人パイロットの勇気(?)のお陰で、何とか

 離陸、無事北京へ。ホテルへ着いたのは、午前1時過ぎでした。

 6月5日 早朝、万里の長城へ。そしてその夜には、夜行列車で大同へと。

 まさに中国大陸横断旅行は、体力勝負!とつくづく思った数日間でした。

 しかし、お大師さまの艱難辛苦の修行に比べれば、これくらいの苦労は大した

 ことではないのかもしれません。    

  6月8日 結局、帰りは北京経由だったため、新品の衣類が浦東空港の

 倉庫に保管されたままになってしまいました。非常に残念です。

 2)訪中団助成金(20万円)収支報告

   先般、事務局から報告しましたので、省略致しますが、助成を頂きました

 ことに、改めて御礼申し上げます。

 なお残金22,267円は、既に南真会に返金しています。

 3)基金の現状

 中国農業銀行・ 四川省支店・ 定期預金番号・638256003000058968

 2000年7月 時点 80,508元(日本円 約120万7千円)

 2001年7月 時点 81,957元(日本円 約122万9千円)

 ◎2002年7月には、約2%の利子がつき継続されています。

  今回の授与式では、会よりの※30万円(19,476元)から、

 17,500元(350×50名)の学資を支給しました。

 残額の1,976元は、上記と同様に別口の定期預金にしました。

 ※「毎年15万円を学資として支給する」という総会の議決を頂いておりますので、平成13年、14年度各15万円、合計30万円となります。

 4)参加者名(敬称略)

  松峰隆法団長(金剛院)、松本信正(けい徳寺)、竹井成範(千光寺)、

 上西隆全(東雲院)、竹井悦子(千光寺寺族) 以上南真会、

 岩上昭信(大乗坊)、阿河康真(安楽院)、坪井喜久太(祥楽堂)、

 守安和久(小林朱雲堂)、中元昌洋(ヒロシン薬局) 以上10名

 5)反省点

 1 援助物資を持っていく場合、必ず教育局など中国人民政府の証明書

 をもらって行くこと。

2 今回の授与式の様子は、大きくマスコミ報道されましたが、ビデオや新聞

 を入手できず、現地での様子をお知らせすることができませんでした。

 地元では、新聞を入手することさえ困難で、ましてやビデオ録画など

 大都会のお金持ちにしかできないということなので、今後は成都在住の

 人に頼むと良い。

3 参加人数が極めて少なく旅行代金の負担が大きくなっています。

 檀家さんへの呼びかけ等も考えていくと良いのではないか。 

日本南真会教育基金日本側責任者 竹井成範

記録写真へ

教育基金授与式挨拶

皆さんこんにちは。お元気ですか?

 私達は、皆さんの元気なお顔を拝見できて、とても嬉しく思います。

 我々日本人は、遠き昔より、貴国から仏教を初めとして、多くの思想、文化を学んできました。まさに、中国は、我が故郷、父母のような國です。

 私達は、1995年に、これまでの、中国に対する恩義に感謝の意を表し、

 日中友好を益々発展させるために、教育基金を設立しました。

 そして、今回第7回の授与式を挙行することが出来ましたことは、私達にとっても望外の喜びです。今年は日中国交回復30周年の節目の年です。

 皆さんが、日本と中国の友好の架け橋になって、益々日中友好が発展します

 ことをお祈りしまして、ご挨拶とします。

 南真会 会長 高橋智運 代理 松峰隆法

(訳)

 女士們,先生們,小朋友們,大家好。

 我們今天看到?們健康活溌的?子感到很高興。

 我們日本人从遠古以来就向中国学習了佛教等先進的思想和文化。

 中国是我們的第二故郷。我們??該報答中国的恩情。

 ?了不断地?展中日友好,我們于1995年設立了南真会教育基金。

 這次我們很高興地在這里?行第七次南真会教育基金授予式。

 今年是中日邦交正常化三十周年。

 我們希望?們架設中日?国友誼的橋梁,??展中日友好做貢献。

 感謝?們今天熱情地?迎我們。祝愿大家健康和幸福。 謝謝。

 南真会 会長 高橋智運 代理人 松峰隆法 

平成16年 南真会教育基金授与式 訪中のご報告

中国 四川省 眉山市 彭山県

 「南真会教育基金授与式」へ参加

 南真会(会長・高橋智運財務部長)は、高野山真言宗・備中支所(岡山県)下の寺院による有志の会です。

 1995年、四川省彭山県(注1)に設立された「南真会教育基金」は、これまでに500名以上の学校へ行けない貧しい子ども達に教育を受ける機会を与えてきました。二年に一度の授与式は、今年で8回目。今回も50名の子ども達に2年分の学資が授与されました。

 式典参加のための訪中団は、会員寺院住職の他にも有縁の住職や檀信徒など、15名でした。

 旅日記 記録写真へ

 ◆2004年6月7日(月)AM10:30

 関西国際空港をJAL785便にて一路首都北京へ向けて出発。

 北京空港では成都への乗り継ぎ便、中国国際航空CA1417便が大幅に遅れ、6時間近くも空港内で待たされるというアクシデントが・・・しかし、何とか2時間半で四川省の省都・成都市(写真(1))へ無事到着。

 ◆6月8日(火)AM8:00

 前日の疲れも無く、全員元気でホテルを出発。司法局(検察庁)のパトカーに先導され(写真(2))ノンストップ!約一時間で、授与式の会場の彭山県第二中学校へ到着。(写真(3)

 校門前では、子ども達が、整列して我々のバスを迎えてくれました。(写真(4)

 式典はAM9:00~

 1) 中国側・日本側の参加者の紹介。

 2) 眉山市政府の宋副市長、彭山県の湖副県知事の挨拶。

 3) 南真会の高橋会長の挨拶を松峰隆法金剛院住職が代読。

 (中国語訳は、高野山の土生川正賢僧正に、作成して頂きました)

 4) 50名の子ども達一人一人に参加者から学資が手渡されました。(写真(5)

) 生徒代表、謝辞。日中友好の発展を祈りつつ、記念写真撮影。(写真(6)

 式典終了後は、眉山市政府表敬訪問(写真(7))のグループと成都市内観光のグループで別行動。

 ◆6月8日 PM18:25

成都発、CA4485便にて九塞・黄龍空港へ。

 世界自然遺産の九塞溝・黄龍は、成都から北へ約500km、フライトは、わずか45分。しかし空港が海抜約3500mの場所にあるため、到着後軽い高山病の症状が出るおそれあり。途中のレストランで酸素ボンベを一人3本程度購入。空港からバスで九塞溝まで、高野山の有料道路のようなくねくねとした道を2時間以上走り、宿泊予定のシェラトンホテルに到着。さすがに全員疲れ果ててしまいました。ところが、そのホテルに中国の政府要人の視察が・・・。要人警護のために、半径10km近くの道路は全て封鎖。多くの軍警察、S.P.地元の警察官が非常に厳しい警護をしています。

 ホテルに入ろうとすると、いきなり警護の責任者に

 「エレーベーターを使わず、階段を使え!ホテル内での食事は禁止!」と理不尽なことを言われました。友人である「別の政府要人」へ連絡して抗議したところ、我々の団体だけが、全てを許されることに・・・・。

 自由経済の発展を謳歌している中国ですが、共産党一党独裁の現実を垣間見たような気がしました。

 ◆6月9日 朝から、酸素ボンベ片手に、九塞溝観光(写真(8))。中国人が一番行きたい観光地であるということを聞いていましたが、まさに夢のような美しさ、自然の偉大さを感じさせるような場所です。シンガポールより広いという自然保護区の中での時間は、あっという間に過ぎていきました。

 チベット族の歌と踊り(写真(9))を鑑賞しながらの夕食。最後まで見ていたい気持ちで一杯でした。しかし、明日は4400mの峠を越えて、難所中の難所である黄龍へ向かうので、途中で切り上げ、早めに床につくことに。

 ◆6月10日 標高5588mの雪宝頂の雄大な山容を間近にしながら、およそ130kmの山道をバスで走り、ようやく黄龍に。

 酸素が薄いためか、頭がボーとして、ふらつきます。しかし、往復15kmの急な山道を歩かないと素晴らしい風景を見ることは出来ません。

 「あーもうダメだ・・・。ここまでか・・・」と思っていたら、何と駕籠屋さん(写真(10))が・・・。まさに地獄で仏。「ラッキー!」

 さっそく彼らのお世話になり、美しい景色(写真(11)(12))をゆっくり鑑賞しながら、楽々と頂上の黄龍古寺(写真(13))へ。

 しかし、私よりずっと年上の数名の方々は、酸素も使わず、自力で登山されました。「恐るべし戦前生まれ!」尊敬の念を抱かずにはおれません。最大の山場を無事乗り越えた我々は、夜遅く成都に。

 ◆6月11日 AM5:00起床 飛行機にて広州へ。さらにバスで3時間走り珠海を経て香港到着。

 6月12日 AM14:50

 JAL702便にて関空への帰途につきました。南真会教育基金授与式に参加し、世界遺産の九塞溝・黄龍を訪れた今回の旅は、日中友好の絆を深めるとともに、檀信徒の皆さんに、僧侶の法務以外の仕事を認識してもらい、また発展途上国への教育支援の重要性を理解してもらうことができましたので、非常に有意義であったと考えています。

 「中国四川省彭山県・南真会教育基金」 

 日本側責任者  備中 千光寺住職 竹井成範

 参加者(敬称略)

 阿河康真・五十嵐秀文・井上宗平・岩上昭信・岩上朝子・上西隆全・高田正雄・高田一恵・竹井成範・辰田良三郎・辰田容子・坪井喜久太・中本広美・藤井真人・松峰隆法・鄭建華(教育基金 中国側責任者)・JTB添乗員(廣瀬弘享)

 注1 四川省は、人口1億2千万人 面積は日本の1.7倍 眉山市は、人口435万人 1つの区と彭山県を始めとする5つの県があります。彭山県は、面積465平方キロメートル、人口32万人 18の郷と鎮から成り立っています。(中国の行政レベルは、省があり、直轄市があり、市郷・鎮などがある)

戻る